【社長 Blog】『宝石のプロが伝える大事な話 – ダイヤモンドの情報開示 –』第38回:藤田嗣治とダイヤモンドー③
宝石のプロが伝える大事な話「 ダイヤモンドの情報開示 」
【 第38回 】
藤田嗣治とダイヤモンドー③
皆さまこんにちは。
福山・広島の宝石専門店「ヴァニラ」代表取締役社長
浜田 佳久(はまだ よしひさ)です。
私は、父が営んできた宝石屋に生まれ、
幼いころから美しいものや美術品、
そしておしゃれが好きな学生時代を過ごしました。
宝石の中では特に、ダイヤモンドと真珠が好きで
これまでの約四十年間のバイヤー経験を通して、
ものの価値や見る目を養って参りました。
今回このようなコラムを書かせていただくに至ったのは、
大きな変革期を迎えているダイヤモンド業界の中で、
正しい知識と情報を発信することが、
皆様の間違いのないダイヤモンドの買い方や
選び方につながると考えるからです。
激動の時代に藤田画伯を支えたのは、
ダイヤモンドという奇策でした。
この意味をしっかりと理解するには
当時の世情をお伝えしなければ、
彼の取った奇策がなぜ行われたのかの
説明ができません。
戦中の軍命により「戦争画」を描いたことで
戦後GHQ戦争責任を問われたことは、
前回の彼の行動遍歴⑤で記しました。
1946年前後の日本国内は
高インフレの中、財産税課税の前に
預金封鎖(1948年に解除)と新円切替を行い、
預金の引き出し制限も行われていました。
これにより預金の価値が目減りして、
最終的に17分の1にまで
減価したといわれています。
ちなみに1946年の物価上昇(インフレ)は
500%を超えたといいます。
藤田画伯に関する書物を読み込んでみると、
1回目のパリ渡航から一年後の第一次世界大戦、
1929年からの世界大恐慌、
1945年前後の戦前戦後の日本国内の大動乱など、
いくつもの要因を経て自身を守る「術」を
身につけていったものと思われます。
3度目の日本帰国時には、
太平洋戦争で敗戦するであろうことは
もとより、戦後世界での生活を
守る糧は紙幣ではないことを予見し、
・小さくて
・持ち運びやすい(軽い)
・高価
の3拍子が揃ったものは何かを
冷静に見極めていたことが
窺われます。
その革新的な行動が
ダイヤモンドに行き着いたのです。
ではダイヤモンドをどうしたのか?
そこに至る経緯を次回以降
お伝えしてまいります。
株式会社ハマダ宝石時計店
ジュエリーショップ・VANillA(ヴァニラ)
代表取締役社長 浜田 佳久
1949年生まれ。福山市、広島市に店舗を構え、今年で創業73周年を迎える宝石専門店の代表。
約40年もの間、ダイヤモンド、色石、真珠など、数々の宝石のバイヤーとして多くの目利き
をしてきた経験と審美眼を持つ。
【 メディア情報 】
◆ 今回のコラムは、2022年3月1日に発行された
広島圏の情報誌
「 経済リポート・1763号 」に掲載されました。
◆ RCCテレビ「 イマなまっ!」にて、
ヴァニラが出演・紹介されました♪
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営業時間 . 11:00 〜 19:30
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