VANillA MAGAZINE

【社長 Blog】『宝石のプロが伝える大事な話 – ダイヤモンドの情報開示 –』第38回:藤田嗣治とダイヤモンドー③

2022.10.26 #社長のBLOG

広島県広島広島市福山福山市のVANillAヴァニラの宝石のプロが伝える大事な話ダイヤモンドの情報開示

宝石のプロが伝える大事な話「 ダイヤモンドの情報開示 」

【 第38回 】

藤田嗣治とダイヤモンドー③


皆さまこんにちは。

 

福山・広島の宝石専門店「ヴァニラ」代表取締役社長

浜田 佳久(はまだ よしひさ)です。

 

私は、父が営んできた宝石屋に生まれ、

幼いころから美しいものや美術品、

そしておしゃれが好きな学生時代を過ごしました。

 

宝石の中では特に、ダイヤモンドと真珠が好きで

これまでの約四十年間のバイヤー経験を通して、

ものの価値や見る目を養って参りました。

 

今回このようなコラムを書かせていただくに至ったのは、

大きな変革期を迎えているダイヤモンド業界の中で、

正しい知識と情報を発信することが、

皆様の間違いのないダイヤモンドの買い方や

選び方につながると考えるからです。


激動の時代に藤田画伯を支えたのは、

ダイヤモンドという奇策でした。

 

この意味をしっかりと理解するには

当時の世情をお伝えしなければ、

彼の取った奇策がなぜ行われたのかの

説明ができません。

 

戦中の軍命により「戦争画」を描いたことで

戦後GHQ戦争責任を問われたことは、

前回の彼の行動遍歴⑤で記しました。

 

1946年前後の日本国内は

高インフレの中、財産税課税の前に

預金封鎖(1948年に解除)と新円切替を行い、

預金の引き出し制限も行われていました。

 

これにより預金の価値が目減りして、

最終的に17分の1にまで

減価したといわれています。

 

ちなみに1946年の物価上昇(インフレ)は

500%を超えたといいます。

 

藤田画伯に関する書物を読み込んでみると、

1回目のパリ渡航から一年後の第一次世界大戦、

1929年からの世界大恐慌、

1945年前後の戦前戦後の日本国内の大動乱など、

いくつもの要因を経て自身を守る「術」を

身につけていったものと思われます。

 

3度目の日本帰国時には、

太平洋戦争で敗戦するであろうことは

もとより、戦後世界での生活を

守る糧は紙幣ではないことを予見し、

 

・小さくて

・持ち運びやすい(軽い)

・高価

 

の3拍子が揃ったものは何かを

冷静に見極めていたことが

窺われます。

 

その革新的な行動が

ダイヤモンドに行き着いたのです。

 

ではダイヤモンドをどうしたのか?

そこに至る経緯を次回以降

お伝えしてまいります。


株式会社ハマダ宝石時計店

ジュエリーショップ・VANillA(ヴァニラ)

代表取締役社長 浜田 佳久

 

広島県広島広島市福山福山市のVANillAヴァニラの代表取締役社長

 

1949年生まれ。福山市、広島市に店舗を構え、今年で創業72周年を迎える宝石専門店の代表。

約40年もの間、ダイヤモンド、色石、真珠など、数々の宝石のバイヤーとして多くの目利き

をしてきた経験と審美眼を持つ。

 


【 メディア情報 】

 

◆ 今回のコラムは、2022年3月1日に発行された

広島圏の情報誌

 「 経済リポート・1763号 」に掲載されました。

 

◆ RCCテレビ「 イマなまっ!」にて、

ヴァニラが出演・紹介されました♪

 


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